
『世界の三木の確立を!』の発言の背景
関西国際大学の「地域SNSで地域を活性化する」に関する公開講座がありました。
その公開講座で少しお時間をいただき、『世界の三木の確立を!』と宣言させていただいたのですが、あまりに突飛な宣言と思われたようなので、今日はこの発言の背景を書き記しておこうと思います。
そもそもこのシンポジウム、地域の”活性化”のためのSNSということだったのですが、”活性化”という言葉が使われている裏に『地域の衰退』という前提があると思ってのぞみました。
『地域の衰退』は三木市に限ることではありません。日本全国において起きていることです。
この『地域衰退』にどう対処していくかが地方行政、地域産業の課題だといえます。
さてさて、どうして、この『地域衰退』が起きたのか。
一言でいうならば、社会構造の変化に対応できなかったからということになるのですが、その主となる要因は、「少子高齢化社会」と「グローバル社会」でしょう。
これらの問題、大概、国家レベルのように大きなレベルで論じられます。
間違いなくトータル『日本』を衰退させました。
『地域』は『日本』のパ ーツですから、『日本全体』の衰退とは、すなわち、その単体である『地域』を衰退させたということができます。
ちょっとそれぞれの語句のおさらいです。
『少子高齢化』
少子高齢化とは「少子化」と「高齢化」の同時進行を意味しています。
少子化とは人口に占める年少人口(0~14歳人口)の割合が低下することを意味し、出生率の低下がつづくことが影響します。
高齢化とは人口に占める老年人口(65歳以上人口)の割合が上昇すること。
「少子化」と「高齢化」は独立した概念ではなく、定義から少子化が進めば高齢化も進みます。
経済成長に関していえば、総人口に占める生産年齢人口(15~64歳人口)の割合が低下すれば、中長期的な成長力にもマイナスの影響が及びます。
つまり、少子化と高齢化は総人口に占める年齢階層別人口の構成を変化させることで、実体経済に悪影響を及ぼします。
少子高齢化社会に関しては、自分の身の回りを見渡せば実感できます。
身近なところでは、粟生線の問題もこの課題への対応ができなかったことがあります。
『グローバル社会』
『グローバル社会』とは、世界を一つの共同体として捉える社会のこと。現代では政治・経済など、あらゆる面でグローバル化が進んでいます。
グローバル社会を生み出した要因の一つに「科学」の発展が挙げられます。飛行機などの移動手段が発達したことで、人や物の移動が簡単にできるようになりました。インターネットという新たな情報ツールができたことで、私たちは世界中の情報をのぞくことができるようになりました。
グローバル社会による問題は、企業のグローバル化が進むことで、貧富の差を生み出しているということがあります。グローバル化として、先進国が平均賃金の低い発展途上国に労働の拠点を置くことで、先進国の労働は衰退していきます。衰退していくことで低所得者は切り捨てられ、高所得者との所得格差は拡大していきます。企業がグローバル化と称して人件費の安い国を生産拠点としていくことで、その国自体では労働者たちが職を失うことになり、どんどん衰退化していってしまうのです。
そして途上国での貧困問題も深刻化していきます。貧困国では最低賃金で働かされ、その事業自体は常に先進国に依存しています。先進国は自分たちの国で作っているときよりも安い製品や安い農作物を手に入れることが出来ますが、途上国はいつまでも低賃金を抜け出すことが出来なくなってしまいます。現在のグローバル化の流れは強者と弱者を作り出すシステムだとされています。
僕らは、「グローバル社会」の課題を考えるとき、途上国での貧困問題がまずイメージとして思い浮かぶかもしれませんが、これ、自分の身近なところの問題なんですね。
国家レベルでの問題ととらえていたことに地域の立ち遅れがあったのかもしれません。
「少子高齢化社会」にあって、「グローバル社会」の中で生き抜いていく地域のあり方。
これを背景に考えたとき、「少子高齢化社会」をも「グローバル」な視点で考えていかなければなりません。
そうしたとき、
どうして『世界の三木の確立を!』という宣言をしたのか。
もうおわかりいただけれるかと思いますが、この宣言の背景には、グローバル社会があり、グローバル社会の中で少子高齢化社会に対応した『三木』というものを強く意識しないかぎり、日本のパーツである『地域』といえども、そこから脱却することはできないのです。
実は、『世界の三木』とは、大きなことをいったものでもなんでもなく、この現代社会の中では当たり前の目標だといえます。